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 | 和泉式部日記 和泉式部 |
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内容紹介
恋多き女、和泉式部が秀逸な歌とともに綴った王朝女流日記の傑作。為尊親王の死後、その弟の敦道親王から和泉式部へ便りが届き、新たな恋が始まった。...▽恋多き女、和泉式部が秀逸な歌とともに綴った王朝女流日記の傑作。為尊親王の死後、その弟の敦道親王から和泉式部へ便りが届き、新たな恋が始まった。あまりにも身分が違う相手で、しかもかつての恋人の弟との恋。夫婦関係がゆるかった当時としても異例の関係だった。正妻のいる宮の邸へ迎えられ、正妻が出ていってしまうという結果を招く。恋故の苦しみと喜びはいつの世も変わらない。王朝の恋の世界を知るための最適の入門書。
冒頭・書き出し
はかない夢よりも、もっとあっけない世の中ーー今は亡きあの人との仲を嘆き悲しみながら、日々を送っているうちに、いつのまにか四月十日過ぎにもなってしま...▽冒頭・書き出し
はかない夢よりも、もっとあっけない世の中ーー今は亡きあの人との仲を嘆き悲しみながら、日々を送っているうちに、いつのまにか四月十日過ぎにもなってしまいました。木々が生い茂り、木の下の闇もだんだんとその暗さを増していきます。
名言抜粋
そこで私はわかったのです。昔の...
胸がしめつけられるほど悲しい、...
どうせつらい身の上なのだから、...
いつまで生きていられるかどうか...
世の中に代々伝わっている古い物...
作品について
『和泉式部日記』は、和泉式部によって記された日記であり、女流日記文学の代表的作品である。「三条西家本」を底本とすることが多い。中古三十六歌仙の一人、小倉百人一首に...▽作品について
『和泉式部日記』は、和泉式部によって記された日記であり、女流日記文学の代表的作品である。「三条西家本」を底本とすることが多い。
中古三十六歌仙の一人、小倉百人一首にもその歌が収められている、平安時代を代表する歌人である和泉式部にふさわしく、日記のなかに和歌の贈答の場面が頻出し、この作品を大きく特徴付けている。
和泉式部の本人自筆の作品とされることもあるものの、かつては『和泉式部物語』とも呼ばれたこともあり、また主人公であり筆者であるはずの和泉式部本人を「女」という三人称的呼称で扱っていることから別に作者がいるのではないか、との意見もある。
敦道親王が亡くなった後の、喪に服している一年の間(寛弘5年、1008年)に書かれたといわれている。
長保5年(1003年)4月〜寛弘元年(1004年)1月までの数ヶ月間の出来事をつづる。
恋人冷泉帝第三皇子弾正宮為尊親王が前年長保4年に薨じ、また為尊親王との恋のため父親にも勘当され、さらに夫橘道貞との関係も冷めたものとなって嘆きつつ追憶の日々を過ごしていた和泉式部のもとに、為尊親王の弟冷泉帝第四皇子帥宮敦道親王の消息の便りが届く。
その後帥宮と和歌や手紙などを取り交わし、また数度の訪問を受けるうちにお互いを深く愛する関係となり、最終的に和泉式部は帥宮邸に迎えられる。この間の和歌の取り交わしと、この恋愛に関する和泉式部のありのままの心情描写が本作品の大きな特色である。
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