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 | 蜻蛉日記 藤原道綱母 |
Content
内容紹介
美貌と歌才に恵まれ権門の夫をもちながら、蜻蛉のようにはかない身の上を嘆く藤原道綱母の21年間の日記。鋭く人生を見つめ、夫の愛情に絶望していく...▽美貌と歌才に恵まれ権門の夫をもちながら、蜻蛉のようにはかない身の上を嘆く藤原道綱母の21年間の日記。鋭く人生を見つめ、夫の愛情に絶望していく心理を繊細に描く。現代語訳を前面に出し、難解な日記をしっかり理解できるよう構成。現代語訳・原文ともに総ルビ付きで朗読にも最適。
冒頭・書き出し
こうして女盛りの時もむなしく過ぎ去ってしまって……。ある所に、ひどく頼りなく、夫のある身とも独り身ともいえないような状態で暮らしている女がいたので...▽冒頭・書き出し
こうして女盛りの時もむなしく過ぎ去ってしまって……。ある所に、ひどく頼りなく、夫のある身とも独り身ともいえないような状態で暮らしている女がいたのである。それほどの美人というわけでもなく、しっかりした考えがあるともいえず、こうして役にも立たず生きているのも当然だと思いながら、ただ、寝ては起きるようなむなしい日々を暮らすなか、世の中にたくさんある古い物語をのぞいてみると、どれもこれもきれいごと、うそばっかり。そんなものでさえおもしろがられるのだから、人並みでない私の身の上をありのまま日記にしたら、もっと珍しいものになるだろう。
名言抜粋
どうにもならぬ切なさに、せきと...
あきれたことだ、心のどかに信頼...
作品について
『蜻蛉日記』は、平安時代の女流日記。作者は藤原道綱母。天暦8年(954年) - 天延2年(974年)の出来事が書かれており、成立は天延2年(974年)前後と推定さ...▽作品について
『蜻蛉日記』は、平安時代の女流日記。作者は藤原道綱母。天暦8年(954年) - 天延2年(974年)の出来事が書かれており、成立は天延2年(974年)前後と推定される。上中下の3巻よりなる。
題名は日記のなかの文「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」より。
夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事がある。
藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦日を最後に筆が途絶えている。
歌人との交流についても書いており、掲載の和歌は261首。
なかでも「なげきつつひとりぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」は百人一首にとられている。
女流日記のさきがけとされ、『源氏物語』はじめ多くの文学に影響を与えた。
また、自らの心情や経験を客観的に省察する自照文学の嚆矢ともされている。
なお兼家に対する恨み言を綴ったもの、ないし復讐のための書とする学者もあるが、今西祐一郎は、兼家の和歌を多数収めているので、兼家の協力を得て書いた宣伝の書ではないかという説を唱えている。
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