![]() | オルテガ・イ・ガセット 哲学者 | |||||
世界中の劣等者たちは、自分たちが荷を負わされ、任務を与えられてきたことにもうあきており、わずらわしい命令から解放されたいまの時代を、お祭り気分で楽しんでいる。しかし、祭りは長く続くものではない。一定の仕方で生きることを強制する戒律がなければ、われわれの生は、まったく待命状態になってしまう。これが、世界の最良の青年たちが直面している恐るべき心理状態である。 | ||||||
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![]() | ヨハン・ホイジンガ | |||||
古代からわれわれの時代にいたるまでの大侵略戦争はすべて、経済的な力関係、政治的配慮といった合理的理論から解釈するよりも、誰でもただちに理解することのできる、名声への欲望という観念を考えることによって、いっそう本質的な説明を与えることができよう。このような戦争の栄光化の現代的爆発は、悲しいかな、われわれにはもはや余りにも周知の事実となってしまった。 | ||||||
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![]() | ジャレド・ダイアモンド 生物学者 | |||||
ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるように、ヨーロッパ人とアメリカ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然と生態的偶然のたまものにすぐない――しいていえば、それは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の広さのちがい、東西に長いか南北に長いかのちがい、そして栽培化や家畜化可能な野生祖先種の分布状況のちがいによるものである。 | ||||||
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![]() | ウィリアム・ダラント 歴史家 | |||||
人類は本当に進歩していると言えるのか。非常に疑わしい。(生物学的・・・寿命は延び、疫病も減った。しかし現代病を産んだ。 社会学的・・・飢えはなくなった。しかし貧富の差を生んだ。 科学的・・・明確に進歩したが、文明の利器は体力の低下といった副作用をもたらしている。 倫理的・・・宗教からは解放された。しかしそれに代わるモラルコードはまだない。) | ||||||
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![]() | ジェイ・エイブラハム 実業家 | |||||
私の「卓越の戦略」は、さまざまなマーケティング戦略、効率的な時間の使い方、市場心理といった経営スキルの巧みな構成を重視しているのではありません。「卓越性」とは、市場から長期にわたって最も信頼できるアドバイザーだと認識してもらうということなのです。そのためには、自分自身が市場に深くコミットしている必要があります。 | ||||||
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![]() | 洪自誠 作家 | |||||
人間の心は、そのまま宇宙と相似である。喜びの心は、めでたい星やめでたい雲である。怒りの心は、轟く雷や激しい雨である。慈しみの心は、のどかな風や恵みの雨である。厳しい心は、照りつける太陽や秋の霜である。どれも欠くことが出来ない。ただ、現象すれば直ぐに消え、その後はカラリとして後を引かないので、宇宙と心は相似形といえるのである。つまり、宇宙をマクロコスモス、心をミクロコスモスと言い、ありとあらゆる現象が相似形なので、心は大宇宙に学べるということ。言い換えれば、活人は、脳こそ正に宇宙の一部であり、宇宙こそ脳であると考えるのが合理的であることを覚えておきなさい。 | ||||||
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![]() | 中村天風 思想家 | |||||
私が事業家にいいたいのは、ここだ。宇宙の心理に背いた、自分本位の欲望でもってしようとしたことは、そう滅多に成功するものではない。事業に成功するのは、自分が欲望から離れて何かを考えたときに、また、その考えたことを実行するときに成功するのだ。同じ事業家でも、欲の固まりでやる者と、「この仕事で、世の中の人のために、本当に役立つものを提供しよう」という気持ちでやるのでは、その結果が全然違うのである。 | ||||||
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![]() | アーノルド・J・トインビー 歴史学者 | |||||
宇宙飛行士の冒険心と勇気は全面的に賞賛すべきものだ。しかし、ここで想起せねばならないのは、何百人、何千人という科学者、技術者の熟練、苦労、献身、忠誠の支援がもしもなかったとしたら、宇宙飛行士という人類のスターは地面を飛び立つことすらできず、まして月に到着することも無事帰還することもできなかろうということである。地上で働くこの無数の功労者の業績の方が、宇宙飛行士の功績より倫理的にはずっと感動的なのである。 | ||||||
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![]() | 塩野七生 作家 | |||||
ディオクレティアヌスは、 専従にすることで責任感をもたせ 任務も充分に果させようと考えて、 ローマ帝国後期を特色づける この制度をつくったのであろう。 しかし人間とは、一つの組織に帰属するのに慣れ 責任をもたせられることによって、 他の分野からの干渉を 嫌うようになるものなのである。 そして、干渉を嫌う態度とは、 自分も他者に干渉しないやり方につながる。 自分も干渉しない以上は 他者からの干渉も排除する、というわけだ。 この考え方が、自らの属す組織の肥大化に つながっていくのも当然であった。 干渉、ないしは助けを求める必要、 に迫られないよう、 いかに今は無用の長物であろうと 人でも部署でも保持しておく、であるのだから。ディオクレティアヌスが意図していた以上に、 彼の考えに立って組織されたローマ帝国後期の 官僚機構が肥大化してしまったのも、 この種の組織が内包する性質に 原因があったのではないかと思う。 “専従”とは、効率面のみを考えれば 実に合理的なシステムに見えるが、 深い落とし穴が隠されているのである。 | ||||||
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![]() | 塩野七生 作家 | |||||
だが、正当であるのは明らかな実力重視路線だが、 人間世界のすべてのことと同じに、 利点があれば欠点もある。 実力主義とは、機能まで自分と同格であった者が、 今日からは自分に命令する立場に立つ、 ということでもある。 この現実を直視し納得して受け入れるには 相当な思慮が求められるが、 そのような合理的精神を もち合わせている人は常に少ない。 いわゆる「貴種」、 生まれや育ちが自分とはかけ離れている人に対して、 下層の人々が説明しようのない敬意を感ずるのは、 それが非合理だからである。 多くの人によってより素直に胸に入ってくるのは、 合理的な理性よりも非合理的な感性のほうなのだ。 | ||||||
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