![]() | 村上龍 小説家 | |||||
「海外に出る」のも1つの方法かもしれません。私は、30代後半から、40代にかけて、バカみたいに海外に行っていました。それもたいてい一人旅でした。テニスやF1レース、それにサッカーの取材と称して、ヨーロッパを回り、キューバと出会ってからは、映画を撮るという目的もあったのですが、毎年3~4回訪れていました心しかも1か月とか、2か月とか、滞在は長く、あのころ少しだけ世界を知った気がします。20代や30代前半は、ヨーロッパではなく、南北アメリカ、アジア、アフリカなどによく行きました。ヨーロッパに行くには、それなりの知識と、それなりの資金が必要だと思っていたからです。パック旅行ではなく、できたら個人で、それも一人旅で、海外に出るという選択肢は考えてみる価値があると思います。 | ||||||
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![]() | 五木寛之 小説家 | |||||
「青春の門」の、青春という言葉にしたって、当時の時代の感覚からしたら、手垢のついた月並みな言葉です。しかし手垢のついた汗臭い表現をあえて駆使して、物語を書きたいと思った。世間からはバカにされるかもしれない。でも、そういうものを書きたいという。やっぱり自分は外地からの引き揚げ者だという、一種の「すねている」ところがあったのかもしれません。オーソドックスな人間じゃないから、正道は歩きたくない。陽の当たるところは歩きたくないというようなところがあるんです。 | ||||||
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![]() | 岡本太郎 芸術家 | |||||
太陽の塔が作られたころは 高度成長期の絶頂で、 日本中が進歩、GNPに 自信満々の時代だった。 そこへ万国博。 恐らく全体が進歩主義、 モダーニズム一色になることは 目に見えていた。そこで私は逆に 時空を越えた、絶対感。 馬鹿みたいに、 ただどかんと突っ立った 「太陽の塔」を作ったのだ。 現代の情報への 激しい挑みの象徴として。 | ||||||
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