![]() | ミシェル・ド・モンテーニュ 哲学者 | |||||
書物による勉強は活気のない弱い運動であって、一向にわれわれをかき立てないが、会話は、一度にわれわれを教えもするし鍛えもする。 | ||||||
|
![]() | ミシェル・ド・モンテーニュ 哲学者 | |||||
活動と覚醒ほど青年に奨励すべきものはない。われわれの人生はすべてこれ運動である。 | ||||||
|
![]() | ミシェル・フーコー 哲学者 | |||||
弁証法がカント以来哲学の形式と内的運動となったのは、ひとえにそれが語ることをやめなかった千古の空間を二重化することによってだった。 | ||||||
|
![]() | 村上春樹 小説家 | |||||
翻訳って究極の精読なんですよ。一字一句をゆるがせにできない中で熟読するので、すごく小説の勉強になる。作家や文壇との付き合いもほとんどない僕にとっては、翻訳が唯一の文章修業みたいなものでした。わからないところがあれば、一日中、たった一行の文章とにらめっこして考え込むのは、小説を書くうえでもいい頭の運動になるんです。 | ||||||
|
![]() | カール・マルクス 哲学者 | |||||
歴史の運動全体を捉えるのではなく、個々の過ぎ去った歴史的出来事のうちに歴史の本質を見出すことは、許されないことである。 | ||||||
|
![]() | カール・マルクス 哲学者 | |||||
歴史の全体が、共産主義の生成を概念的・知的に示す運動である。 | ||||||
|
![]() | ジョルジュ・バタイユ 哲学者 | |||||
私は、娘がドレスを脱ぐようにして思考する。思考は、その運動の極点では破廉恥であり、猥褻そのものである。 | ||||||
|
![]() | ジョルジュ・バタイユ 哲学者 | |||||
私は私自身から逃げてゆく私の思考の運動を避けることができないのだが、事はそれだけではない。そういう思考の運動から生気を汲むこともできないほど内密な瞬間というものは、私にとって存在しないのだ。かくて私は語り、私における一切のものが他者たちに与えられる。 | ||||||
|
![]() | 嘉納治五郎 教育者 | |||||
全ての運動競技法を取りあげてみても、何れも私には体育教育の理想であるようには映りません。何故かというと、個々の運動が身体のオールラウンドな発達のためではなく、何か他の限られた目的が狙いであるからです。 | ||||||
|
![]() | サミュエル・スマイルズ 作家 | |||||
思うに、適度な運動は人を健康にさせ、また快適さを感じさせるものである。労働は身体を鍛え、学習は精神を鍛える。両方とも不可欠なものである。 | ||||||
|