![]() | エーリッヒ・ケストナー 詩人 | |||||
教師たるものはな、つねに成長、変化する能力をもちつづける義務と責任があるんだ。でなきゃあ、生徒は朝なんかベッドに寝ころがったまま、授業なんか蓄音器をかけて、レコードにしゃべらせたっていいんだ。だが、それじゃあぜったいこまるんだ。われわれが必要とするのは、教師としての人間なんだ、二本足のかんづめなんかじゃない。われわれが必要とするのは、生徒を成長させようと思ったら、自分も成長せずにはいない先生なんだ。 | ||||||
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![]() | 村上龍 小説家 | |||||
いい大学に行って、いい会社や官庁に入ればそれで安心、という時代が終わろうとしています。それでも、多くの学校の先生や親は「勉強していい学校に行き、いい会社に入りなさい」と言うと思います。勉強していい学校に行き、いい会社に入っても安心なんかできないのに、どうして多くの教師や親がそういうことを言うのでしょうか。それは、多くの教師や親が、どう生きればいいのかを知らないからです。勉強していい学校に行き、いい会社に入るという生き方がすべてだったので、そのほかの生き方がわからないのです。 | ||||||
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![]() | ペトラルカ 詩人 | |||||
みずからを高めるのは有益です。また、自分の精神にもどこか強固なところがあるか、どこか高邁で、逆境にもたじろがぬところがあるか、みずからを欺いてはいないか、といったことを吟味するのも有益です。そしてそのための最良の方法は、万事にもっとも確かな教師である経験によるほかは、自分があやかりたいと願っている当の人びとの精神と自分の精神とをくらべてみることです。 | ||||||
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![]() | 勝海舟 政治家 | |||||
教師の名前はカッテンデーケ(ヴィレム・カッテンディーケ、オランダ海軍軍人)といったが、笑いながら「それは良い修行をした。いくら理屈は知っていても、実地に危ない目に遭ってみなければ船のことはわからない。危ない目と言っても10回が10回ながら格別なので、それに遭遇するほど航海の術はわかってくる」と教えてくれた。このとき、理屈と実際とは別だということを悟ったよ。 | ||||||
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![]() | 杉原千畝 官僚 | |||||
果たして、浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁する、ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないが、それが果たして、国益に叶うことだというのか。苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。 | ||||||
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![]() | 大久保利通 政治家 | |||||
そもそも国家人民のためにその責任ある者は深く省察念慮をつくし、工業物産の利より水陸運輸の便に至るまで、総じて人民保護の緊要に属するものは宜しく国の風土習俗に応じ、民の性情智識に従つてその方法を制定し、これをもって今日行政上の根軸と為し、その既に開成するものはこれを保持し、未だ就緒ならざるものはこれを誘導せざるべからず。 | ||||||
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![]() | 塩野七生 作家 | |||||
組織の機能の向上を求めるならば、 責任の所在を明らかにしておくことが 先決であったからだろう。 組織にはしばしば、 責任の所在が明確になることを嫌う人がいる。 それは、その人自身が責任をとりたくないからだ。 多様多種の人間が混在するのが人間社会だから、 この種の人間が消えてなくなることはないのだが、 多数を占めるようになっては その組織の機能は退化する。 | ||||||
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![]() | サン・テグジュペリ 作家 | |||||
人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分に関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。 | ||||||
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![]() | 塩野七生 作家 | |||||
ディオクレティアヌスは、 専従にすることで責任感をもたせ 任務も充分に果させようと考えて、 ローマ帝国後期を特色づける この制度をつくったのであろう。 しかし人間とは、一つの組織に帰属するのに慣れ 責任をもたせられることによって、 他の分野からの干渉を 嫌うようになるものなのである。 そして、干渉を嫌う態度とは、 自分も他者に干渉しないやり方につながる。 自分も干渉しない以上は 他者からの干渉も排除する、というわけだ。 この考え方が、自らの属す組織の肥大化に つながっていくのも当然であった。 干渉、ないしは助けを求める必要、 に迫られないよう、 いかに今は無用の長物であろうと 人でも部署でも保持しておく、であるのだから。ディオクレティアヌスが意図していた以上に、 彼の考えに立って組織されたローマ帝国後期の 官僚機構が肥大化してしまったのも、 この種の組織が内包する性質に 原因があったのではないかと思う。 “専従”とは、効率面のみを考えれば 実に合理的なシステムに見えるが、 深い落とし穴が隠されているのである。 | ||||||
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![]() | ピーター・ドラッカー 経営学者 | |||||
真のリーダーは、他の誰でもなく、自らが最終的に責任を負うべきことを知っているがゆえに、部下を恐れない。ところが、似非リーダーは部下を恐れる。部下の追放に走る。優れたリーダーは、強力な部下を求める。部下を激励し、前進させ、誇りとする。部下の失敗に最終的な責任をもつがゆえに、部下の成功を脅威とせず、むしろ自らの成功と捉える。 | ||||||
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