![]() | セーレン・キェルケゴール 哲学者 | |||||
青年が人生並に自己自身について並外れた希望を抱いているときは、彼は幻影のうちにある。その代り老人はまた老人でその青年時代を想起する仕方のなかでしばしば幻影に捉えられているのを我々は見るのである。 | ||||||
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![]() | ダグラス・マッカーサー 軍人 | |||||
科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロサクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人はそれとほぼ同年齢である。しかし、日本人はまだ児童の時代で、まだ12歳の少年である。ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、無知のためではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずることに向かっていけるであろう。日本人はドイツ人とは違う。 | ||||||
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![]() | 中島義道 哲学者 | |||||
美人が老醜を恐れるように、輝かしい青年時代を送った男は干からびた老年時代を恐れるであろうが、もともと干からびた青春しか体験してこなかった私のような男は、老年になっても意外に元気である。 | ||||||
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![]() | デジデリウス・エラスムス 哲学者 | |||||
誰かがいとも高いところから四方を見わたすとしたら、人間の一生というものは、なんとまあ数々の厄災に見舞われていることでしょう。なんとみじめで汚らしい生まれ方をし、つらい思いをして教育を受け、幼年時代はさまざまな理不尽な仕打ちにあい、青年時代には汗水流してはたらかされ、老年に至れば生きていることが重荷となり、生者必滅の悲哀を感じ、さらには、一生を通じて数え切れぬほどの病に襲われ、あまたの不慮の出来事におびやかされ、不幸な事態に苦しめられ、どれをとってもこの上ない苦難の色に染まっていないものはないほどです。これはすべて、人間が人間に加える害悪、つまりは貧困、投獄、汚辱、恥辱、拷問、陰謀、裏切り、誹謗、係争、瞞着といったものを勘定に入れないでの話です。 | ||||||
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![]() | ジャン・ジャック・ルソー 哲学者 | |||||
青年時代は知恵を磨く時であり、老年はそれを実践する時である。 | ||||||
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![]() | 渋沢栄一 実業家 | |||||
さて、人格を磨くための方法や工夫は色々とある。仏教に信仰を求めるのもいいだろうし、キリスト教から信念を組みだすのも一つの方法だろう。この点わたしは青年時代から儒教に志してきた。その始祖にあたる孔子や孟子と言った思想家はわたしにとって生涯の師である。 | ||||||
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![]() | フョードル・ドストエフスキー 小説家 | |||||
幼年時代の思い出から得た神聖な貴重なものなしには、人間は生きてゆくこともできない。 | ||||||
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![]() | レオナルド・ダ・ヴィンチ 芸術家 | |||||
老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。 | ||||||
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![]() | バートランド・ラッセル 哲学者 | |||||
多少とも単調な生活に耐えうるという能力こそ、幼年時代に獲得されるべきだ。今日の親は、彼らにショーだの美味しい食事など、受動的な楽しみを多く与え過ぎている。子供は、自らの努力と発案によって、その環境において自主的に快楽を取り出すことができるはずだ。刺激を与え続けるのは、麻薬を投与し続けるのと一緒で、キリがない。刺激はあるが人工的なものではなく、刺激はないが自然と触れて季節を感じるような余裕がないと、本当に刺激的なものを味わうことができない。 | ||||||
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![]() | 魯迅 小説家 | |||||
青年時代には不満はあっても 悲観してはならない。 つねに抗戦し、かつ自衛せよ。 もしいばらにして踏まねばならぬものなら、 もとより踏むのもよいが、 踏まずにすむものなら、 みだりに踏むべきではない。 | ||||||
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