![]() | ミシェル・フーコー 哲学者 | |||||
個人が自己を道徳的な振る舞いの主体として構成するべく要請される様式の歴史。それは自己に対する諸関係の設定や展開、自己への反省や自己に対する自己自身による認識や吟味や解読、更には、自己自身における遂行を模索する様々な変容のために提起される歴史である。 | ||||||
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![]() | ジョン・スチュアート・ミル 哲学者 | |||||
他人に害が及ばないかぎり、個人の主体的な行為に干渉すべきではない。 | ||||||
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![]() | ミシェル・フーコー 哲学者 | |||||
元々は政治的実践及び民主制の問題化にその根を下ろし、ついで個人の倫理や道徳的主体の構成の圏域へと向きを変えるパレーシアという概念。この概念と共に[…]主体と真理に関する問いを、自己と他者の統治と呼びうるもようなものの実践の観点から提起する可能性が得られるのです。 | ||||||
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![]() | 中島義道 哲学者 | |||||
近代社会になると精神病患者が激増しますが、あたりまえのこと。フーコーが言うように、まさに近代社会が最も過酷な仕方で最も組織的に個人の主体(sujet)を奴隷のように縛り上げているからなのです。 | ||||||
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![]() | ジョン・スチュアート・ミル 哲学者 | |||||
個人の行動のうち、社会に対して責任を負わなければならないのは、他人に関係する部分だけである。本人だけに関係する部分については、各人は当然の権利として絶対的な自主独立を維持できる。自分自身に対して、自分の身体と心に対して、人はみな主権を持っているのである。 | ||||||
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![]() | エーリッヒ・フロム 哲学者 | |||||
個人的自我を絶滅させ、耐え難い孤独感に打ち勝とうとする試みは、マゾヒズム的努力の一面に過ぎない。もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。 | ||||||
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![]() | ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 小説家 | |||||
個人は何ものかに達するためには、自己を諦めなければならないということを、だれも理解しない。 | ||||||
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![]() | アレクサンドル・デュマ 小説家 | |||||
個人は全体のために、全体は個人のために存在する。 | ||||||
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![]() | 三島由紀夫 小説家 | |||||
個人が組織を倒す、といふのは善である。 | ||||||
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![]() | アドルフ・ヒトラー 政治家 | |||||
個人の自由に対する権利は人種を維持する義務の重要性に比べて第二義的なものである。 | ||||||
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