![]() | 毛沢東 政治家 | |||||
我々は民衆を信じ、政党を信じるべきだ。調査していないなら発言権も無い。箒が届かなければ、ほこりは逃げない。革命はご馳走するようなものではない。我々の敵は誰だ。そして我々の味方は誰だ。敵が反対するものは擁護する。社会主義革命の目的は生産力の解放である。武力が政権を生みだす。理論と実践を互いに結びつける。戦い、失敗する。でもまた戦う。 | ||||||
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![]() | 岡崎久彦 外交官 | |||||
一方、大東亜戦争の敗因を、日本の国力を過信した「明治の第二世代」のせいだけにすべきではない。まず明治の第二世代は、日本の帝国主義的な発展を所与(当たり前の前提)としていた。加えて、例えば日露戦争を国民の反対を押し切って妥協で終了させねばならなかったような情勢判断は、政府中枢のごく少数だけが知っていて、政府と軍の幹部の大多数も知らされず、指導者層にも「戦略的白痴」の状態があった。情報が正しく共有されていなかったということで、これでは日本の国力を過信してもおかしくない。 | ||||||
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![]() | プラトン 哲学者 | |||||
音楽・文芸による教育は、決定的に重要なのではないか。なぜならば、リズムと調べというものは、何にもまして魂の内奥へと深く沁み込んで行き、何にもまして力強く魂を掴むものなのだからだ。人が正しく育てられる場合には、気品ある優美さをもたらしてその人を気品ある人間に形づくり、そうでない場合には反対の人間にするのだ。 | ||||||
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![]() | アダム・スミス 経済学者 | |||||
価値という言葉は二通りの異なった意味をもっている。ある時は特定のものの実用性を表現し、またある時はそのものの所有権が譲渡されることによって生ずる購買力を示す。第一のそれは「使用価値」第二のそれは「交換価値」と表現してもよいだろう。最大の使用価値を持つものでも、ほとんど交換価値を持たないことも多く、反対に最高の交換価値を持つものでもほとんど使用価値のないものもある。 | ||||||
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![]() | ニッコロ・マキャヴェッリ 思想家 | |||||
なにかを為しとげたいと望む者は、それが大事業であればあるほど、自分の生きている時代と、自分がその中で働かねばならない情況を熟知し、それに合わせるようにしなければならない。時代と情況に合致することを怠ったり、また、生来の性格からしてどうしてもそういうことが不得手な人間は、生涯を不幸のうちにおくらなくてはならないし、為そうと望んだことを達成できないで終るものである。これとは反対に、情況を知りつくし、時代の流れに乗ることのできた人は、望むことも達成できるのだ。 ―政略論。 | ||||||
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![]() | ニッコロ・マキャヴェッリ 思想家 | |||||
いかに多くの人のためになることでも、新たな大事業を提唱するのは、提唱者にとって大変な危険を伴わずにはすまない。しかも、この種の危険は、提唱した時点で終わりにならないのだ。計画を推し進め、完成させ、その後でも支障なく運営していく段階でも、危険は少しも減らないときている。この種の危険は、なぜ生ずるのか。それは、人間というものは結果を見て評価をくだすものだし、もしもその事業の成果が充分でなければ、責任はすべて、提唱者であるあなたに押しつけるからだ。反対に結果がよければあなたは賞賛されるが、大事業とて勝負は長期にわたるので、あなたが受けるのは賞賛よりも非難のほうが多いと覚悟していたほうがよい。それで、このともなわずにはすまない危険をどうしたらいささかでも避けることができるかだが、それはもう、事を進めるのに可能なかぎり控え目にやる、をモットーとするしかない。 ―政略論。 | ||||||
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![]() | アルトゥル・ショーペンハウアー 哲学者 | |||||
そもそも人間は、自分自身を相手にしたときだけ、「完璧な調和」に達することができる。友人とも恋人とも「完璧な調和」に達することはできない。個性や気分の相違は、たとえわずかではあっても、必ずや不調和を招くからだ。だから、心の真の深い平和と完全な心の安らぎという、健康に次いで最も貴重な地上の財宝は、孤独のなかにしかなく、徹底した隠棲のうちにしか見出すことができない。偉大で豊かな自我の持ち主は、そうした場合、このみじめな地上で見出しうる、もっとも幸福な状態を享受するだろう。価値と豊かさを内面に備えた人は、他人との連帯を得るために多大な犠牲を払ったりはしない。それは自分ひとりで満ち足りた心境にあるからだ。凡人は、これと反対の気持ちから社交的になり、調子を合わせる。凡人は、自分自身に耐えるよりも他人に耐えるほうが楽だからである。 | ||||||
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