![]() | ヴォルテール 哲学者 | |||||
偏見は判断を持たない意見である。 | ||||||
|
![]() | ジョン・スチュアート・ミル 哲学者 | |||||
誰かある人の判断が本当に信頼に値するという場合、どうしてそう言えるのか。その彼が自分の精神を、彼の意見と行為についての批判に対して、開いたままにしていたからである。(中略)人間というものが、ある主題の全体を知ることに、幾らかでも接近しうる唯一の道は、あらゆる多様な意見を持つ人々がその主題について言いうる限りのことを聞き、あらゆる性格の精神が、その主題について考察しうる限りのことを全て考察することだと、彼が感じていたからである。これ以外のやり方で、彼の賢明さを獲得した賢人は、かつていなかったし、他のやり方で賢明になるということは、人間知性の本性の中にはないのである。 | ||||||
|
![]() | ジョン・スチュアート・ミル 哲学者 | |||||
本当に信頼できる判断をくだせる人は、なぜそのような能力を身につけることができたのか。自分の意見と行動に対する批判に、いつも心を開いてきたからである。反論や批判をすべて聞き、正しい部分を取り入れ、どこが間違っているかを考え、ときには他人に説明するようにしてきたからだ。 | ||||||
|
![]() | エミール・オーギュスト・シャルティエ(アラン) 哲学者 | |||||
ばか・間抜けとは、判断のなかに表れた一種の弱さを意味する。彼の意見は行き当たりばったりで、今さっき言ったことと、今さっき聞いたことを、忘れている。彼の考えは機械的に動くだけで、どんな方向性も持たない。彼はすぐに信じ込む。まるで信じがたいことでさえすぐに信じてしまう。 | ||||||
|
![]() | エミール・オーギュスト・シャルティエ(アラン) 哲学者 | |||||
われわれが自分の性格を判断する時には、いつも、われわれ自身をくっきり浮かび上がらせる意見にほとんど従っている。だから、周知のごとく、ある人はつっけんどんだと思われるいるがゆえにつっけんどんであり、また、残酷である思われているがゆえに残酷なのだ。 | ||||||
|
![]() | ホレーショ・ネルソン 軍人 | |||||
他人の意見に従うよりも自分の判断に従ったほうがたいていの場合、正しい。 | ||||||
|
![]() | サミュエル・ジョンソン 文学者 | |||||
若い時は、人々の意見で善悪の判断をするのが普通である。年をとると、自分の何の物差しもないのに興味本位で振る舞い、その上、何の徳があるわけでもないのに恥ずかしさを感じない。 | ||||||
|
![]() | ジョン・スチュアート・ミル 哲学者 | |||||
主流の意見は、自分でものごとを判断する能力がそれほど優れているわけではない人に対して圧倒的な影響力をもっている。 | ||||||
|
![]() | ミシェル・ド・モンテーニュ 哲学者 | |||||
私は自分と反対の意見をけっして憎まない。私の判断と他人のそれとが一致しないからといって、憤慨するなどということは毛頭ない。自分と意見が違い、党派が違うからといって、その人々の社会と相容れないなどということも毛頭ない。 | ||||||
|
![]() | ニッコロ・マキャヴェッリ 思想家 | |||||
人間の意見なるものがいかに偽りに満ち、いかに誤った判断でゆがめられているかは、呆れかえるほどである。 | ||||||
|