![]() | フョードル・ドストエフスキー 小説家 | |||||
たいていの場合、人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである。 | ||||||
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![]() | ヘラクレイトス 哲学者 | |||||
みずからと対立するものは、みずからと調和している。逆方向に引っ張り合う力の調和というものがあるのだ。たとえば弓や竪琴の場合がそれである。 | ||||||
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![]() | 中島義道 哲学者 | |||||
私自身のそしてさまざまなタイプの人間嫌いを観察してきた結果、組織の中で人間嫌いが(比較的)許されるのは、次の場合である。(1)仕事ができること。(2)勤勉であること。(3)誠実であること。 | ||||||
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![]() | ギルバート・ケイス・チェスタートン 作家 | |||||
たいていの場合議論する能力のない者が喧嘩をはじめる。 | ||||||
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![]() | ニッコロ・マキャヴェッリ 思想家 | |||||
人は、ほとんど常に、誰かが前に踏みしめていった道を歩むものである。先人が行ったことをまねしながら、自らの道を進もうとするものだ。それでいながら、先人の道を完璧にたどることも、先人の力量に達することも、大変にむずかしい。それで賢明な人は、踏みしめる道にしても誰のものでもよいとせず、衆に優れた人物の踏みしめた道をたどろうと努め、そのような人の行動を範とすべきなのである。たとえ力量が及ばなくても、余韻ぐらいにはあずかれるからだ。言ってみれば、これは慎重な射手のやり方である。的があまりにも遠すぎ、自分の力ではそれに達するのが不可能と思った場合、射手は的を、ずっと高いところに定める。狙いを高く定めることによって、せめては的により迫ろうとするからである。 ―君主論。 | ||||||
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![]() | 岡本太郎 芸術家 | |||||
現在、権威にされているものでも、かつて、古い権威を否定したときの情熱を持ち続け、さらに飛躍して自分自身と時代を乗り越えようと進んでいる場合には、その人は打ち倒される古い権威側ではなく、若さと新鮮さの陣営にある。 | ||||||
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![]() | アルトゥル・ショーペンハウアー 哲学者 | |||||
世間普通の人たちは難しい問題の解決にあたって、熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる。彼らは自分の理解力や洞察力の代わりに他人のものを動員できる場合には心の底から喜びを感ずる。 | ||||||
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![]() | ニッコロ・マキャヴェッリ 思想家 | |||||
中立の立場をとった場合、勝者にとっての敵となるばかりでなく、敗者からも助けてくれなかったという敵視を受けることとなる。 | ||||||
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![]() | フリードリヒ・ニーチェ 哲学者 | |||||
我々が不意にある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、一般に我々の意見ではなく、我々の階級・地位・素性につきもののきまり文句にすぎない。 | ||||||
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