![]() | エミール・シオラン 作家 | |||||
確かに私は人間を嫌悪しているが同じような気安さで人間存在を嫌悪しているとは言い切れない。なぜかというと、この存在という語には、何はともあれある充実した、謎めいた、魅惑的なものがあり、その点、人間という観念とはまるで違っているからである。 | ||||||
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![]() | バールーフ・デ・スピノザ 哲学者 | |||||
人間身体および人間身体が刺激されるのを常とするいくつかの外部の物体に共通でかつ特有であるもの、そして等しくこれら各物体の部分の中にも全体の中にも在るもの、そうしたものの観念もまた精神の中において妥当であるであろう。 | ||||||
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![]() | カール・マルクス 哲学者 | |||||
オーウェンによれば、共産主義は無神論のすぐあとに始まる。しかし無神論は、当初は抽象的な観念に過ぎない。無神論の人間愛は、さしあたり哲学的・抽象的な人間愛に過ぎないが、共産主義の人間愛は、ただちに現実に向かい、すぐにでも活動しようと準備している。 | ||||||
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![]() | バールーフ・デ・スピノザ 哲学者 | |||||
人間精神の現実的有を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。 | ||||||
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![]() | バールーフ・デ・スピノザ 哲学者 | |||||
人間身体が外部の物体から刺激(アフィキトゥル)されるおのおのの様式の観念は、人間身体の本性と同時に、外部の物体の本性を含まなければならぬ。 | ||||||
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![]() | 太宰治 小説家 | |||||
人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。 | ||||||
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![]() | ウォルター・リップマン 作家 | |||||
なぜなら、歴史に作用を及ぼすものは一天才が作り上げた体系的観念ではなくて、個々の人間の頭の中にあるさまざまの模倣、模写、模造、類推、歪曲だからである。 | ||||||
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![]() | バールーフ・デ・スピノザ 哲学者 | |||||
人間精神は自己の身体の変状(アフェクトゥス)〔刺激状態〕の観念によってのみ外部の物体を現実に存在するものとして知覚する。 | ||||||
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![]() | バールーフ・デ・スピノザ 哲学者 | |||||
人間精神は、身体の変状〔刺激状態〕のみならずこの変状の観念をも知覚する。 | ||||||
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![]() | バールーフ・デ・スピノザ 哲学者 | |||||
人間精神は身体が受ける刺激(アフェクティオ)〔変状〕の観念によってのみ人間身体自身を認識し、またそれの存在することを知る。 | ||||||
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