![]() | 二宮尊徳 思想家 | |||||
世人は蓮の花を愛して泥を嫌がり、大根を好んで下肥を嫌がる。私はこういう人を半人前という。蓮の花を養うものは泥である。大根を養うものは下肥である。蓮の花や大根は、泥や下肥を好むことこの上なしではないか。世人の好き嫌いは、半面を知って全面を知らない。これまさに、半人前の見識ではないか。どうして一人前ということができよう。 | ||||||
|
![]() | アーノルド・J・トインビー 歴史学者 | |||||
宇宙飛行士の冒険心と勇気は全面的に賞賛すべきものだ。しかし、ここで想起せねばならないのは、何百人、何千人という科学者、技術者の熟練、苦労、献身、忠誠の支援がもしもなかったとしたら、宇宙飛行士という人類のスターは地面を飛び立つことすらできず、まして月に到着することも無事帰還することもできなかろうということである。地上で働くこの無数の功労者の業績の方が、宇宙飛行士の功績より倫理的にはずっと感動的なのである。 | ||||||
|
![]() | 塩野七生 作家 | |||||
喜劇の幕は降りた。 古代ではなぜか、アテネでもローマでも、 喜劇と悲劇は同一日につづけて 上演されるのが常であった。 人の一生は、このうちの どれか一つで終わるのはまれで、 多くの人の人生は、 喜劇と悲劇のくり返しで成り立っていると、 古代人は考えていたのかもしれない。 皇帝クラウディウスの人生も、 似たようなものであった。 | ||||||
|
![]() | スティーブン・ピンカー 心理学者 | |||||
少なくとも古代ヘブライの預言者たちが社会批判と大災害の警告を混ぜこぜにして以来、悲観主義は道徳的誠実さと同一視されてきた。ジャーナリストは悪い面を強調することが自分たちの職務だと、つまり番犬となり、悪事を暴き、告発し、鈍い人々の目を覚まさせることにつながるのだと信じている。そして知識人は、未解決の問題を掘り起こし、これこそ社会が病んでいる証拠だと主張すれば、すぐに耳を傾けてもらえると知っている。 | ||||||
|
![]() | アドルフ・ヒトラー 政治家 | |||||
私は、オーストリアのイン川に面した町、ブラウナウがまさしく私の誕生の地となった運命を、幸福な定めだと考えている。私にはこの小さな国境の町が、大きな使命のシンボルのように思える。というのは、この小さな町は、二つのドイツ人国家の境に位置しており、少なくともこの両国家の再合併こそ、我々青年がいかなる手段を持ってしても実現しなければならない終生の事業と考えられたからだ。同一の血を持つ民族は、共通の国家に属するのである。ドイツオーストリアは、後刻大ドイツに復帰しなければならない。 | ||||||
|