![]() | 神谷美恵子 医師 | |||||
生活を陳腐なものにする一つの強大な力はいわゆる習俗である。生活のしかた、ことばの使いかた、発想のしかたまでマスコミの力で画一化されつつある現代の文明社会では、皆が習俗に埋没し、流されて行くおそれが多分にある。かりに平和がつづき、オートメイションが発達し、休日がふえるならば、よほどの工夫をしないかぎり、「退屈病」が人類のなかにはびこるのではなかろうか。 | ||||||
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![]() | ヘルマン・ヘッセ 作家 | |||||
どうして彼は、もっとも感じやすく危うい少年時代に、毎日毎日夜遅くまで勉強しなければばらなかったのだろうか? どうして人々は彼からウサギを取り上げ、ラテン語学校の同級生を意図的に遠ざけ、釣りや散歩を禁じ、子どもを疲労困憊させるようなみすぼらしい虚栄心から来る、空っぽでちっぽけな理想を植え込んだのだろう? どうして試験の後でさえ、ちゃんともらえるはずの休暇を与えてやらなかったのだろう? | ||||||
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![]() | バートランド・ラッセル 哲学者 | |||||
私は、幸福に生まれつかなかった。 子供の頃、私のお気に入りの賛美歌は、 「この世に倦み、罪を背負いて」であった。五歳のとき、つくづく考えたことは、 もしも七十歳まで生きるとすれば、 まだ全生涯の十四分の一を 耐え忍んだに過ぎない、 ということだった。そして、行く手に横たわっている 長い退屈は、 ほとんど耐え難いものに思われた。思春には私は生をいとい、 いつも自殺の淵にたたされていた。しかし、なんとか 自殺を思いとどまらせてくれたのは、 もっと数学を知りたいという思い出あった。 | ||||||
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![]() | 國分功一郎 哲学者 | |||||
一言で言えば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。退屈している人間が求めているのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。興奮できればいい。だから今日を昨日から区別してくれる事件の内容は、不幸であっても構わないのである。ラッセルによれば、幸福には二種類ある。一方の幸福はどんな人間にも得られるものであり、他方は読み書きのできる人間にしか得られないものなのだ。 | ||||||
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![]() | ヨハン・ホイジンガ | |||||
遊ぶことは心に解放と安息とを与えるものだから、一種の薬として仕事から放たれて休養するというだけの役には立っている。ところが閑暇に過ごす、自由時間をもっているということは、それだけでもう快楽を楽しむこと、幸福、生の悦びなどを含んでいるように思われるのである。そこで、自分がまだもっていない何ものかを得ようとしてそれを追求するということではなくて、この幸福が生の目的であるということになる。 | ||||||
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![]() | ジェイ・エイブラハム 実業家 | |||||
市場調査は退屈で時間のかかる仕事のように思うかもしれないが、ビジネスで成功したいなら欠かせないプロセスだ。顧客がどのようなものに興味をひかれるのかを知る一つの方法だと思ってほしい。顧客の行動を観察して気付いたことから結論を導き出すという方法、それは、成功したい経営者やマネジャーが答えねばならない質問に客観的な答えを見つけるための方法なのだ。 | ||||||
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![]() | 太宰治 小説家 | |||||
友あり遠方より来(きた)る。 また楽しからずや。(中略)わが思想ただちに世に容(い)れられずとも、思いもかけぬ遠方の人より支持の声を聞く、また楽しからずや、というような意味なんだそうだ。決して、その主人が退屈して畳にごろりと寝ころんでいるのではなく、おのが理想に向って勇往邁進している姿なのだそうである。 | ||||||
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