ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフは、ソビエト連邦の政治家で、8代目にして、同国最後の最高指導者。1985年3月にソビエト連邦共産党書記長に就任し、ソ連国内では東欧の社会主義諸国民主化の契機となったペレストロイカとグラスノスチなどの大改革を断行し、政治・ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフは、ソビエト連邦の政治家で、8代目にして、同国最後の最高指導者。1985年3月にソビエト連邦共産党書記長に就任し、ソ連国内では東欧の社会主義諸国民主化の契機となったペレストロイカとグラスノスチなどの大改革を断行し、政治・経済・文化など多岐にわたる分野で合理化・民主化を推し進めた。しかし、ソ連国内の噴出する民族主義を抑えることができず、保守派と改革派に国内の政治勢力が分立するなか、1991年の「ソ連8月クーデター」を招来、新連邦条約締結に失敗した。結果として、ソ連共産党の一党独裁体制とソ連邦そのものを終結・崩壊へと導くこととなった。外交面ではそれまで40年以上続いていた冷戦を、マルタ会談にて、就任して僅か5年目で終結させて軍縮を進めるなど、世界平和に多大に貢献した。1990年、ソ連で最初で最後となる大統領に就任し、同年にはノーベル平和賞を受賞した。日本を含む西側諸国では絶大な人気を誇り、ゴルビーの愛称で親しまれたものの、ロシア国内ではアメリカと並ぶ二強国であったソ連を崩壊させたことから評価が分かれている。日本大学名誉博士・明治大学名誉博士を有している。...▽ |